あとまわし

書く事が夢でありますように

複雑な私たち

私たちはとても複雑だから

定まったときに定まった感情が

都合よく姿を現したりしない。


どれもこれも内気なのが多くて

本当にいてほしかったり、

誰かに伝えるのに必要だったり

涙を流すのにそばにいてほしい時に

いなかったりする。


たとえば「毎日何やってるんだろう」は、

一週間くらい真夜中まで仕事して

せめて週末くらいは早く帰りたいと思って

金曜の夜に高速にのっていつも

おりるインターの料金所を通過した

瞬間じゃないとなかなか出てこないし、


「言葉からこぼれた想いの破片に触ったら指を切るかな」ちゃんは、

図書館で読みたいと思った本を二冊小脇に抱えながら雨降りの匂いで

外を見ようとしたときの窓についていた雨滴のなかに隠れていたりする。


「ここでは書けない習慣の名残りはもう元には戻らない」さん(仮名)は、

お気に入りの音楽を並べてこちらに来るように誘うと

照れながら自分から抱きしめてもらいにくるけど手をのばして

触れるかと思った瞬間と夢だったのかと思う瞬間の間から笑っていることが多い。


私たちはとても複雑だ。


今、私の傍らには

「刹那的に現れては消える感情はただの幻と思うことは間違ってるのだろうか」

が幻になることもなくいつも隠し持った言葉で空を切ってはひゅっと音を立てて喜んでいる。