あとまわし

書く事が夢でありますように

腹話術

ねえ俺がはじめてここに来たの二十年まえだよマスター、ここは変わらないね、俺と同じくらいに来てた人でまだ来てる人っているの?あいつ?知らないけどさ、もうぜんぜん部屋からも出てこないんだって、そう、近くに住んでるんだけど、さっぱり見かけない、俺のせいじゃないしあいつのせいでもない、誰のせいでもないよ、そういうのって、あの席によくいっしょに座ってたんだっけ?よくおぼえてるね、席がまったく変わってないにしてもだよ、どの席のどの位置にもそれなりに思いでがあるんだよ、おかしいけど、いつから来なくなった?え、なれてないよ作家なんかに、なんだ、良かったよ、忘れてて、それでさ今はこうして詩を書きに来てるってわけ、前はさ、酒を飲まないで来るやつの気が知れなかったけど、今、俺も酒飲まないもんね、飲むとしたってジンだよ、ジンライム、前もそうだったでしょ、
うん、おどろいたことに頼んだことのないメニューの方が多いんだよ、好きなものはだいたい決まってくるし、あ、これいい曲じゃん、レコードじゃないの?めずらしいね、いまさらだけど、俺ジャズって全然わかんないんですよ、でもこれはいい曲だよ、ジャズバーなのに、はじめてだね、ほんといい曲だよ、

 

そう話したかったけど、
マスターは学生客と話しはじめていた。
よく考えてみたら、そんなふうにマスターと話したことなんて一度もない。
実際の会話はこれだけだった。
「お店とか席、変わんないですね、ここは」
「変われないんですよ、私もここも」

 

こういうのってなんだろう、なんだろうな、
なつかしい、というのとは少しちがう、
ちがうよね、いや全然ちがうんだよなあ、
ねえ、こういうのってなんて言ったらいい?
なんて言ったらいいんだよ、教えてよ、ことばにしてよ、それをことばにしてみてよ、そうやって今も過ごしてる。